素晴らしい逝き方

すばらしい逝き方             2017年7月25日
 
 現場の直接的なケア・支援に関り責任を持つということは、すばらしい出会いと新鮮な体験をさせていただくという機会がありありがたい。ただ、気を抜けない緊迫感が常にあることは覚悟の上だが・・・。
 今日は、「地域看護センターあんあん」(訪問看護事業)で関らせていただいたAさんの事例です。

5日間のかかわりのAさん
 ある日の朝、訪問診療の医師から「がんの末期らしい方からの依頼があったのでいっしょに訪問しよう」という依頼があり、早速にいっしょに午後に伺った。家族以外のかかわりを良しとせず、“医師はいいが、看護師さんはちょっと母が受け入れないかもしれません」という家族の声を尊重しつつ家の中に入れていただいた。
 Aさんは、ご自分の意思をしっかりと持って医療も選択し延命治療はしないと決めていたようである。ご家族はそれを最大限尊重し家での最期を覚悟なさっていらした。

清拭
 がんの末期で食事量・水分摂取量もほんの少し。ご家族がトイレまでやっと抱えて連れて行っていた。看護師の訪問をどう受け入れていただくかが私たちにとっては大きな課題だったが、幸いその日のうちに清拭をさせていただくことが可能になり、“ご家族ではできない特別な入浴した気分を味わえる清拭”を実施させていただくことができた。
 その後、トイレ(排泄)の方法の変更やある日は、看護師二人での短時間(5分~10分間)でのシャワー浴(座位も困難、血圧も低下傾向だったがOK)(結局死亡前日)の実施など全身ケアを実施させていただき、ご本人からも「気持ちよかった」「よかった」と。

「明日(あの世に)逝こうかな」
 ある日の会話。
ご家族「宮崎さん、母が昨日こう言うんです。『明日は何日だい』『明日は●月△日ですよ』『そう、じゃあ、明日(あの世に)逝こうかな』って。だからたぶん、今日あたりがその日かもしれません」
私「そうですか。そうかもしれませんね」
その日の夕方、家族から「来てください!」と依頼あり。訪問。
ご家族「ずっとうとうとしているんです、だけど今しがた、みんなを呼んでこう言うんですよ。『そろそろ逝くわね』って! そして家族一人ひとりの顔を見て『ありがとう』と。もうそろそろかしらね」
私「お母様の気持ちはもうあの世に逝きかけているのでしょうね。だけど、体がまだこの世に。血圧等まだ大丈夫ですよ。もう少しこの世での時間があるようです。声をかけて返事をなさらなくても耳は最期まで聞こえているといわれています。なので、心地いい声・言葉・音楽などを耳元でお聞かせくださるのがいいかもしれませんね」

音楽を心地よさそうに
ご家族「そうなんですよね。先ほどフルートを聞かせたんです。(親族に高名なフルート奏者がいらっしゃる)そしたら、指で拍子をとり、終わったとき、目を開けていい顔でうなずいたんです」
私「それは良かったですね」

笑顔であの世に
 そうして息を引き取られたのが、翌日の朝方でした。訪問したところ顔が本当に微笑んでいたのです!
私「まあ、お顔が笑っていらっしゃいますね」
ご家族「宮崎さん、そうなんです。最期の呼吸の少し前に、突然目を開けてみんなを見たんです。なので、泣きたくなるのをこらえてみんな笑ったんです。だってね、母は元気なころから『私があの世に逝くときには笑って見送ってね』って言っていたので。
 それで、母に『お母さん、みんな笑っているからね。お母さんも笑って』っていったら、母がにこっと笑ったんです! そしてそのまま最期の呼吸をして息が止まったんです」

 たくさんの方の“死”に関らせていただいたが、Aさんのように自ら『明日あの世に逝こうかしら』と言葉でいう方は珍しいです。受動ではなく「逝こうかしら」と主体的です。ご自分の容態を自覚し、自らの力でこの世で精一杯生きられた立派な最期だなあととても感動しました。またそれを支えたご家族も素晴らしかった。裏方の支援者として心に残るAさんでした。